2016年11月04日
Do it my self、「さよなら、横浜」
二ヶ月、ブログを書けずにいました。
「身体と心との葛藤」の、「体」、そんなんのと闘っていた、そんな、二ヶ月でした。
胃の全摘手術の後遺症、心技体って共通語がありますが、このことばを、
「ここまで、喰らうかー。」

って、二ヶ月でした。
長月、一日。

西村勇紀/FUKUのライヴ、唄と魂を感じた、すっごく素晴らしかった。
長月、十七日。
「セキケンイチ」自身の鍵盤観完全復活に向けて、照準合わせていた、「衰退羞恥心」の西荻のライヴ。

中央道の異常な混雑で、開演時間に間に合わなくて、すんごく楽しみにしていたステージだったのに、ピアノ弾けなかった。
中央道から電話した時のまこっちゃんの、「むかつくー!」って一言が、胸に刺さった。
まこっちゃん、ヒロポン、英美ちゃん、太田、884、せっかく来てくれたお客さん、本当にごめんなさい。
長月、十八日。
次の日の、「リレ-・フォー・ジャパン」にも、出演出来なかっし、転倒して頭を切ってしまって、間に合わなかったし、歩けなかった。
884にも、FUKUにもトーメにも、迷惑かけた。
情けない、まさひろ、すまん。
「Color」、歌いたかったな。
この三日が、僕のこれからに向けての、全てだった。
「心から演りたいのに、今の俺じゃ無理だ...。」
「衰退羞恥心」のまこっちゃんのライヴに間に合わなくて、いろいろ、考え改めた。
音楽人として、生きるべきか、死ぬるべきか。
「to be or not to be.」
3歳の時の「肺動脈狭窄」の心臓手術、24歳~30歳に於いて患った「ウィルス性髄膜脳炎」、4年前の悪性リンパ腫「ホジキン病」、そして去年からの「胃がん」。
悪性リンパ腫に向けての抗がん剤の化学療法、そして今回の、胃全摘術後の、ダンピング症候群。
かなり、キツかった、頭で考えるよりも、身体が動かなくなって、何よりも体力が堕ちちゃった。
当たり前ですけど、人間の身体は、「脳ミソ」が血液や筋肉に指命零を出して、「心技」において、身体は動くようになります。
でも、胃の手術をしてから、「脳ミソ」の命令を、身体が受け入れなくなってました...。
それを、脳と体が自己で分かっている僕の「心技体」が、バランスとれなくて、自分自身が自分について来れなくなっちゃった。
歴史は長く、。
そんな自己嫌悪の日常の中、精神心療内科にも一週間入院して、主治医と腹割って、心のカウンセリングしてもらいました。
そんな中。73歳の母が「アキレス断裂」で、手術~入院しました。

僕は、弟が病死しているので、出来合い一人っ子。
母の看病含め、俺しかいないよね、「関」を受け繋いで行くのは。
※結果と結果。
心はあれども、身体が付いていかない。
さんざん悩み、考えに考え、ても明日が見えない。
結論。
「K's CORPORATION INC.」、も、「関描「せきかく」も、また、長野に還りつつ、本格的に動きます。
ミュージシャンのみなさま、また、長野に、一生架けて、みんなをお待ちしています。
俺の仕切りで、よければね。

でも一発目は、やっぱり、リヴェンジ兼ねて「衰退羞恥心」だな...。
そして、ぼんとの引っ越しは、霜月十五日。
誰か、手伝ってくないかな~(これ、切なる思い)。
二十年前の「ウィルス性髄膜脳炎」といい、今回の「胃がん」といい、井土ヶ谷の会計事務所に働きだすと、何かを患う。
横浜には、縁がないのかな。
俺が縁を、遠のけてしまっているのかな...。

悔しく、切ない、そんな日々なのです。
命は、いっこしかなkもんね。
「身体と心との葛藤」の、「体」、そんなんのと闘っていた、そんな、二ヶ月でした。
胃の全摘手術の後遺症、心技体って共通語がありますが、このことばを、
「ここまで、喰らうかー。」
って、二ヶ月でした。
長月、一日。

西村勇紀/FUKUのライヴ、唄と魂を感じた、すっごく素晴らしかった。
長月、十七日。
「セキケンイチ」自身の鍵盤観完全復活に向けて、照準合わせていた、「衰退羞恥心」の西荻のライヴ。

中央道の異常な混雑で、開演時間に間に合わなくて、すんごく楽しみにしていたステージだったのに、ピアノ弾けなかった。
中央道から電話した時のまこっちゃんの、「むかつくー!」って一言が、胸に刺さった。
まこっちゃん、ヒロポン、英美ちゃん、太田、884、せっかく来てくれたお客さん、本当にごめんなさい。
長月、十八日。
次の日の、「リレ-・フォー・ジャパン」にも、出演出来なかっし、転倒して頭を切ってしまって、間に合わなかったし、歩けなかった。
884にも、FUKUにもトーメにも、迷惑かけた。
情けない、まさひろ、すまん。
「Color」、歌いたかったな。
この三日が、僕のこれからに向けての、全てだった。
「心から演りたいのに、今の俺じゃ無理だ...。」
「衰退羞恥心」のまこっちゃんのライヴに間に合わなくて、いろいろ、考え改めた。
音楽人として、生きるべきか、死ぬるべきか。
「to be or not to be.」
3歳の時の「肺動脈狭窄」の心臓手術、24歳~30歳に於いて患った「ウィルス性髄膜脳炎」、4年前の悪性リンパ腫「ホジキン病」、そして去年からの「胃がん」。
悪性リンパ腫に向けての抗がん剤の化学療法、そして今回の、胃全摘術後の、ダンピング症候群。
かなり、キツかった、頭で考えるよりも、身体が動かなくなって、何よりも体力が堕ちちゃった。
当たり前ですけど、人間の身体は、「脳ミソ」が血液や筋肉に指命零を出して、「心技」において、身体は動くようになります。
でも、胃の手術をしてから、「脳ミソ」の命令を、身体が受け入れなくなってました...。
それを、脳と体が自己で分かっている僕の「心技体」が、バランスとれなくて、自分自身が自分について来れなくなっちゃった。
歴史は長く、。
そんな自己嫌悪の日常の中、精神心療内科にも一週間入院して、主治医と腹割って、心のカウンセリングしてもらいました。
そんな中。73歳の母が「アキレス断裂」で、手術~入院しました。
僕は、弟が病死しているので、出来合い一人っ子。
母の看病含め、俺しかいないよね、「関」を受け繋いで行くのは。
※結果と結果。
心はあれども、身体が付いていかない。
さんざん悩み、考えに考え、ても明日が見えない。
結論。
「K's CORPORATION INC.」、も、「関描「せきかく」も、また、長野に還りつつ、本格的に動きます。
ミュージシャンのみなさま、また、長野に、一生架けて、みんなをお待ちしています。
俺の仕切りで、よければね。

でも一発目は、やっぱり、リヴェンジ兼ねて「衰退羞恥心」だな...。
そして、ぼんとの引っ越しは、霜月十五日。
誰か、手伝ってくないかな~(これ、切なる思い)。
二十年前の「ウィルス性髄膜脳炎」といい、今回の「胃がん」といい、井土ヶ谷の会計事務所に働きだすと、何かを患う。
横浜には、縁がないのかな。
俺が縁を、遠のけてしまっているのかな...。

悔しく、切ない、そんな日々なのです。
命は、いっこしかなkもんね。