2018年11月30日
僕にとっての、横向きのミッシングと縦向きのケチャップと。
タバコを切らしちゃったので、近くのコンビニにへ今日の最後のウォーキング。
そうしたら、大好きな、ほんとにほんとに大・大だい好きな曲が、流れてた。
作詞、まっちゃん。
作曲、まっきー。
唄、はまちゃん。
による、
「チキンライス」
って、ちょいと哀しくあたたかい、クリスマスソング。
お店から流れていたのは、誰かの、Cover Versionだった。
菓子パンにしようかシュークリームにしようか (たばこは、キャシャーで151番って言えばいいって分かってるからね)を選びながら耳にする歌声からすると、「X JAPAN」の、「Toshi」っぽい声だったけれど、まさかねぇ。
どうなんだろう...ねぇ...。
この「チキンライス」、を「松本人志」さんが描かれた世界や日々と似たような疑似体験が、僕にもあった。
三歳の時に、肺動脈を広げる手術をして、術後、やっと歩けるようになって。
それがもう、嬉しくて嬉しくてさ☺️☺️☺️。
前の年に弟が死んじまった悲しみを受け容れることより、それから逃れるように、嬉しがってね。
でも、考えてみると、いっちばん悲しくてたまらなかったのは、俺じゃなく、母だったはずなんだよ...。
そんな事を「和田アキ子」さんの歌声と、ピアノ、と、もういっこ心痛を忘れさせてくれたのが、たまーに、母と祖母たちが連れて行ってくれる、デパートの「はやしや」へのお出かけ。
西松本駅近くの中条から松本駅の西口から東口への通路、階段昇れること自体がうれしくて、ウキウキして歩いた。
で、話は戻るけど、俺はね。
また、「はやしや」に連れて来てもらいたいからね。
母が自分に似合うおしゃれ品がゲット出来た時に、ご機嫌に連れて行ってもらえた、デパートのレストラン。
「お子さまランチ、食べたいんじゃない、謙一ぃ。」って言ってくれる、ばぁちゃんやかぁさんの言葉には逆らってね、
「チキンライス(ケチャップごはん)」
を、おねだりしてた。
そんな昔のくだりがあって、「浜田雅功&槇原敬之」による「チキンライス」
が、大好きなんだ。
とぅさんとかぁさんに、「謙一」と、名前を付けてもらった、僕。
自分の病歴や生き様に甘えて、今までの自分に足りなかったものは、「謙虚さと、親を想う気持ち。」なんだって、感じる。
健一でも憲一でも賢一でもケンイチ......でもなく、「謙一」にしてもらったのに。
五十年も、なにを、やってたんだか...。
これから少しずつでも、孝行とまではいかずとも、「親を想って」生きたいと思ってます。
さ~て、一番、言いたくないけれど、伝え云っとかなきゃならない、病いの話し。
ホントの事だけ、書くね。
右手の薬指と小指がしびれ始めたのが、五年位まえ。
→ピアノは、テク (笑) で、誤魔化してた。
夜半に急に脚が動かなくなったのが、四年まえ。
→救命救急センターまで、車椅子乗ってた。
家に入って来る下り坂坂道で転んで、おでこ撃って、瞬間、何かをお約束していたみたいに上半身が動かなくなったのが、去年。
→これは、もう、庭石にへばりついて、救急車に来ていただいた。
リハビリしつつも、下半身までが不自由になって来ているのが、現在。
→よく、昔の俺みたいに、逃げと誤魔化しの酒浸りにならんな〜って、思ってる。
上肢と下肢の不具合に対して、確かに分かっている事は、先天的な免疫不順、と、先天的に脊髄の一部が狭窄しちゃってるって事。
そんな身体過去もあり、今、「頚髄損傷」の合併症なのか、「血行障害」を神経が起こしているのか、「アルコール依存症」だった後遺症なのか...、はたまた、全ての合併症なのか、正直、分からないし、医者も逃げたり他医に委ねたりで、解らないっぽい。
そんなわけで、今、主治医がいない状態なのが、現実です。
あ、もちろん、悪性リンパ腫と胃がんとかには、しっかりとした主治医がいるよん (笑) 。
昔っからの友達で、今、北国でオペ看護看やってる女の子に紹介してもらった、東京千代田区は「九段坂病院」。
この病院での治療や手術を僕は臨んだんだけれど、母が、「私も年だし高齢者だし、何しろ遠いし...。」って、バツ。
でも僕は、頚髄にメスは入れる覚悟をしてます、この、松本でっ!
誰のものでもない、「わたしの人生」だからね。
指のリハビリを自分なりに頑張って、まあ、頭の中の音符、50点くらいまで弾けるようになったと思ったら、今度は、「関の代名詞」と云ってもいい、ペダリングに欠かせない、ペダルを踏む足がだめになった。
いくらコンピューターが発達しても、僕が頚髄損傷してから、代わりにピアノ弾いてくれる人がいても、それは、素晴らしい彼らの音であっても、「関の音」にはならない、なれない。
今夜で、11月も終わり。
昨夜だっけ?下弦の月。
今回の月、満ちた時、美しかったねぇ。
畑で永眠っている、亡くなった「ムー(ミン) 」ってうさぎに、お餅を供えて手を合わせました。
来月は、いきなり月頭の月曜日から整形外科。
後も、信大の血液内科・消化器外科・脳神経内科、そして、歯科大と精神科..。
趣味かっ。
整形外科は、主治医がお二人いらっしゃる、不思議な世界 (笑) 。
でもまぁ、色々、決まって来ると思います。
眠っていても、手足が自由に動く自分を第三者として見つめている、そんな夢ばっかり。
こんな不安要素ばかりの毎日とは、とっととオサラバしたい。
いや、しなきゃっね!
霜月末。
逃げるのが怖いから、夢ばかり追い続けてきたけれど、どうにかこうにか、五十路まで生きて来れた。
もしも、どこかの夕陽の中で向り返れば、あなたは、わたしを探して抱きしめるだろうか。
ALL ABOUT MY LOVE。
生きてゆくのは、しんどいけどさ。
人生は、夢だらけ。
HORIZON。
教授の「Merry Christmas Mr.Lawrence (Live at Matsumoto Verrson)」を、聴きながら。
そうしたら、大好きな、ほんとにほんとに大・大だい好きな曲が、流れてた。
作詞、まっちゃん。
作曲、まっきー。
唄、はまちゃん。
による、
「チキンライス」
って、ちょいと哀しくあたたかい、クリスマスソング。
お店から流れていたのは、誰かの、Cover Versionだった。
菓子パンにしようかシュークリームにしようか (たばこは、キャシャーで151番って言えばいいって分かってるからね)を選びながら耳にする歌声からすると、「X JAPAN」の、「Toshi」っぽい声だったけれど、まさかねぇ。
どうなんだろう...ねぇ...。
この「チキンライス」、を「松本人志」さんが描かれた世界や日々と似たような疑似体験が、僕にもあった。
三歳の時に、肺動脈を広げる手術をして、術後、やっと歩けるようになって。
それがもう、嬉しくて嬉しくてさ☺️☺️☺️。
前の年に弟が死んじまった悲しみを受け容れることより、それから逃れるように、嬉しがってね。
でも、考えてみると、いっちばん悲しくてたまらなかったのは、俺じゃなく、母だったはずなんだよ...。
そんな事を「和田アキ子」さんの歌声と、ピアノ、と、もういっこ心痛を忘れさせてくれたのが、たまーに、母と祖母たちが連れて行ってくれる、デパートの「はやしや」へのお出かけ。
西松本駅近くの中条から松本駅の西口から東口への通路、階段昇れること自体がうれしくて、ウキウキして歩いた。
で、話は戻るけど、俺はね。
また、「はやしや」に連れて来てもらいたいからね。
母が自分に似合うおしゃれ品がゲット出来た時に、ご機嫌に連れて行ってもらえた、デパートのレストラン。
「お子さまランチ、食べたいんじゃない、謙一ぃ。」って言ってくれる、ばぁちゃんやかぁさんの言葉には逆らってね、
「チキンライス(ケチャップごはん)」
を、おねだりしてた。
そんな昔のくだりがあって、「浜田雅功&槇原敬之」による「チキンライス」
が、大好きなんだ。
とぅさんとかぁさんに、「謙一」と、名前を付けてもらった、僕。
自分の病歴や生き様に甘えて、今までの自分に足りなかったものは、「謙虚さと、親を想う気持ち。」なんだって、感じる。
健一でも憲一でも賢一でもケンイチ......でもなく、「謙一」にしてもらったのに。
五十年も、なにを、やってたんだか...。
これから少しずつでも、孝行とまではいかずとも、「親を想って」生きたいと思ってます。
さ~て、一番、言いたくないけれど、伝え云っとかなきゃならない、病いの話し。
ホントの事だけ、書くね。
右手の薬指と小指がしびれ始めたのが、五年位まえ。
→ピアノは、テク (笑) で、誤魔化してた。
夜半に急に脚が動かなくなったのが、四年まえ。
→救命救急センターまで、車椅子乗ってた。
家に入って来る下り坂坂道で転んで、おでこ撃って、瞬間、何かをお約束していたみたいに上半身が動かなくなったのが、去年。
→これは、もう、庭石にへばりついて、救急車に来ていただいた。
リハビリしつつも、下半身までが不自由になって来ているのが、現在。
→よく、昔の俺みたいに、逃げと誤魔化しの酒浸りにならんな〜って、思ってる。
上肢と下肢の不具合に対して、確かに分かっている事は、先天的な免疫不順、と、先天的に脊髄の一部が狭窄しちゃってるって事。
そんな身体過去もあり、今、「頚髄損傷」の合併症なのか、「血行障害」を神経が起こしているのか、「アルコール依存症」だった後遺症なのか...、はたまた、全ての合併症なのか、正直、分からないし、医者も逃げたり他医に委ねたりで、解らないっぽい。
そんなわけで、今、主治医がいない状態なのが、現実です。
あ、もちろん、悪性リンパ腫と胃がんとかには、しっかりとした主治医がいるよん (笑) 。
昔っからの友達で、今、北国でオペ看護看やってる女の子に紹介してもらった、東京千代田区は「九段坂病院」。
この病院での治療や手術を僕は臨んだんだけれど、母が、「私も年だし高齢者だし、何しろ遠いし...。」って、バツ。
でも僕は、頚髄にメスは入れる覚悟をしてます、この、松本でっ!
誰のものでもない、「わたしの人生」だからね。
指のリハビリを自分なりに頑張って、まあ、頭の中の音符、50点くらいまで弾けるようになったと思ったら、今度は、「関の代名詞」と云ってもいい、ペダリングに欠かせない、ペダルを踏む足がだめになった。
いくらコンピューターが発達しても、僕が頚髄損傷してから、代わりにピアノ弾いてくれる人がいても、それは、素晴らしい彼らの音であっても、「関の音」にはならない、なれない。
今夜で、11月も終わり。
昨夜だっけ?下弦の月。
今回の月、満ちた時、美しかったねぇ。
畑で永眠っている、亡くなった「ムー(ミン) 」ってうさぎに、お餅を供えて手を合わせました。
来月は、いきなり月頭の月曜日から整形外科。
後も、信大の血液内科・消化器外科・脳神経内科、そして、歯科大と精神科..。
趣味かっ。
整形外科は、主治医がお二人いらっしゃる、不思議な世界 (笑) 。
でもまぁ、色々、決まって来ると思います。
眠っていても、手足が自由に動く自分を第三者として見つめている、そんな夢ばっかり。
こんな不安要素ばかりの毎日とは、とっととオサラバしたい。
いや、しなきゃっね!
霜月末。
逃げるのが怖いから、夢ばかり追い続けてきたけれど、どうにかこうにか、五十路まで生きて来れた。
もしも、どこかの夕陽の中で向り返れば、あなたは、わたしを探して抱きしめるだろうか。
ALL ABOUT MY LOVE。
生きてゆくのは、しんどいけどさ。
人生は、夢だらけ。
HORIZON。
教授の「Merry Christmas Mr.Lawrence (Live at Matsumoto Verrson)」を、聴きながら。