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2014年08月28日

SALさん、三日かかったよ。

8月25日は、パーカッショニスト「Senor.SALbayashi」の命日でした。
SALさん、三日かかったよ。
僕にとって、どうしようもなくかけがえのない、バックシャンとしての相方でした。
二人で、いろんな方々のバックを努めさせていただきました、ホントに、数えきれないくらいの。
そんな彼の三回忌のブログを、SALさんとの色んな事を思い起こしながらしっかりと今年は書きたくて、書きたかったんだけどいろいろ思い起こすが故に込みあげちゃったりもして、下書きフォルダに入れては直して、入れては削って、なかなかアップ出来ないまま、命日は月曜日だったのに、もう、今、木曜日の早朝です。
「Senor.SALbayashi」ってパーカッショニストを、「平林一寿」って人間を、知っている人も知らない人も、ちょいと長いけれど、お付き合い願えたらと思います。


僕は、皆さんご存知かと思いますが、シンガーソングライターとか、歌うたいでは、根本的にありません。
だから、その「詞」を音色に乗せる事は出来るけれど、なにもないところから歌詞を作っていくのは、苦手です (笑) 。
なのでブログのタイトル「吾奏音彩」の通り、メインの人やユニット、ソロの楽器や個人の音色に、彩を音と共に与えるのが僕の役割だし仕事だと思って、ピアノを弾いてます。
でも、ただやんわりとそのコードなぞったり、適当に合わせたりっていうのが正に合わない (笑) 、ピアニストです。
同じ「G」でも、ステージの真ん前に立ってるミュージシャンに、「一緒に、かますぜ!同じGなら!」って、そんなピアノ弾きです。

この思いってのは、もう何十年も変わらないんですけど、8~9年前になるかな...、同じような雰囲気でステージで周囲や自分の楽器を睨みつけて、奏でている男たちがいました。
それが、当時「ちほねぇ」とステージを共にしていた、「Senor.SALbayashi」と「ヒーローズ」だった。
僕は、「K-2 UNIT」で、出演してたんだけれど、その打ち上げで、「君たちがやってた、O.Y.A.J.Iって曲と、駅名がタイトルの曲いいよね~」って、声をかけてくれたのが、「Senor.SALbayashi」ことSALさん、そして「ヒーローズ」ことにぃちゃんでした。

この県の森の「街発」のライヴと打上げがきっかけで、初めてSALビートが「K-2 UNIT」に入ってくれたのは、2007年の6月、上田の当時の「LOFT」でのライヴ。
その時の対バンが、「Ayer」と、そして「tea」さん、そしてその時にお客さんとして観に来てくれていたのが、去年の竹原ピストルさんの長野ツアーで共演もしてくれた、「深瀬人寛」や「鯉丼」だった。

その日をきっかけに「K-2 UNIT」の活動を通して、CDのレコーディングも含め、ほぼK-2は、SALさんと一緒に演ってたな...。




SALさんとは、「パーカッションとピアノ」としてのの妙なユニットバックシャンコンビ部隊として「SAL∞CAN」って名前を付けて、互いに紹介しあって、いろんな人の背中と音色とグルーヴを、そして互いの指先を感じながら、ステージを共にした。
「澁艶」の二人、donさんと香とのいろんなつながりもそうだし、

「雅音人」とも、いろんなところで演奏させてもらった。

SALさんの紹介で伺った、長野市内でのジャズセッションがなければ、「ましゅまろまま」や「the APPLAUZ」のまみとも、繋がりはなかったかも知れない。

僕がしばらく病気で、音楽活動やサポートバックシャンとしての活動を止めている間も、SALさんは精力的にサポート活動を広げていて、魅力的なミュージシャンを見つけては僕に電話をくれて、「けんちゃん、早く一緒に演ろうよ!」って...。
そんな中でのミュージシャンが、「ましゅまろまま」であり、

「トーメ」でもあり、

「FUKU」や「トーメ☆FUKU」であり、

「さんさな」や「M3」でもあるわけです。

「El Camino」さんや「Shy」さん「オグラ」さんたち、プロのツアーミュージシャンとのコラボも然りです。

そして、「SALさん、今回も頼むよ、いつもの (笑) 。」って、SALさんにメールしたりしてステージを共にしたのが、「Over 50's」だったり「ビレッジ」だったり、「湯澤かよこ」や「小松チヒロ」との、ガチなジョイントだったんじゃないかな...。


そんな、音楽シーンたち以外のライヴやイベントでも、SALさんは、いろいろ叩きまくっていた。
その代表格が、「Ayer」のふまや鳥居たちとのセッションであり、もう一つが、京都のライヴハウス「和音堂」で定期的に開催されているライヴイベント「ドドナイ(Do Do NIGHT)」関連。
この「ドドナイ」、もう5~6年くらい前からになるのかな...、大阪や京都メンバーを連れて、本家が長野に乗り込んで来るようになって「ドドナガ(会場が長野になるからね)」と称して開催されるようになった。
この「ドドナガ」を長野で主宰するのが、このブログの結構前の方にで出来た「tea」さんと、その奥方の「りっちぃ」。
「ドドナガ」の歴史は、今はなきライヴハウス「BOTTOM DOLLAR」での出会いや思いの歴史や繋がりにもなるんだけれど、この「ドドナイ」と「ドドナガ」が大好きだったのが、SALさん。
そしてこの「ドドナガ」の歴史は、まみと僕とのユニット「the APPLAUZ」の歴史にもシンクする。
京都の本家「和音堂」でのレギュラーに「Alies(はい、アリスだけしか演んない方々ね (笑) )」って先輩方がいるんだけれど、長野での「ドドナガ」にやって来る事になって、「そんじゃ、長野にもアリスフリークに負けないくらいのチンペイフリークがいるんだぜ!」って、対抗したのが僕とまみで、その時の出演のために「the APPLAUZ」というユニット名を付けたのでした (笑) 。
SALさんには、「the APPLAUZ」、すごく気に入ってもらっていて、亡くなるまでいくつものステージを共にしてもらったんだけれど、まだユニット名もついていない「喝采の種」だったころの、僕らの唯一のステージでも、一緒に演奏してくれました。

SALさんが「こっちからも殴り込もうぜ!」って舵を取って、二年前の六月に、「the APPLAUZ feat.Senor.SALbayashi」で、SALさんの奥さまも一緒に京都の本家「ドドナイ」に出演した事もあったんだけど、その二か月後、「ドドナガ」の開催当日、SALさんはシンバルの音色が響いていくかの如く、空へと飛び立ちました。
「ドドナイ」とSALさんの事は、まみも「ましゅまろまま」のブログで、少し前に書いてたね。
http://masyumaromama.naganoblog.jp/e1542274.html

今年、この「ドドナイ」と「ドドナガ」とのジョイント企画のような形で、今年は、今、「ドドナガ」思い出の「BOTTOM DOLLAR」の中村さんが卓を仕切る、大塚「Welcome back」での開催となり、僕も松本で一仕事終えてから駆けつけるつもりです。
「ドドナイ」とか「ドドナガ」はもちろんだけれど、SALさんの思いと共に、ピアノを弾いて来ようと思っています。


色んな人と音で交わり、会場で一緒に笑って、そして彼が繋いできた「Senor.SALbayashi」の世界。
その、SALさんの思いの集大成みたいなもの、描いていたものが、「ACOBATTLE」であり、ツアーミュージシャンとの交流やコラボなのだと、僕は思っています。

バックシャンとして、企画屋として、彼が長野に問いたかったものは大きすぎて、今の僕では背負いきれない部分も正直ある。

でも、やってくよ、SALさん。
SALさんが好きだっていってくれてた、ソロのステージも増やしていくよ。
今、出せずにいる音魂たちも、周囲やみんなの笑顔と共に音を紡ぎ出せる時が来るように、俺なりにやっていくよ。
小春と櫻子へも、たっくさん、大事なものを残してくれたよね。
SALさん、三日かかったよ。
あなたがくれたもの、そして最後の言葉は、俺の中にズンといつでもいつまでも残っているから。




SALさんが病に侵されている事は、僕は早い時期から聞いていた。
でも、「音楽をやめさせないでくれ」って、SALさんの言葉に、はむかう事は出来なかった。
今、考えても、僕がどうすべきだったかは、分からない。
「どうしようもなくかけがえのない、バックシャンとしての相方」として、少しでも彼が「ニヤり」と出来るステージに連れて行きたいと、そう考えていたな、あの頃。

僕がSALさんと、最後に音を交えたのは、彼が亡くなる一週間前。

tomoさんが声をかけてくれた、土肥でのフェスへのリハーサル。
土肥に向かう前にかなり具合が悪くなって土肥への同行は中止、土肥から帰って来た時、もうSALさんは入院していた。

「the APPLAUZ」の「片隅の夢」って曲の中には、「ましゅまろまま」の「花鳥風月」の中にある思いとはまた違う、SALさんが病と闘っている頃の、彼への想いが隠されている。
SALさんとの、ラスト・ソング。








もう、SALさんとの事を、ここまで掘り下げたり顧みたりして、ブログを書く事はないかも知れないな。

SALさん、そっちでもソフトクリーム、喰ってますか?

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