2012年05月08日
05/08 12 篠原と関
カテゴリーだけ作っておいて、「K-2 UNIT」の事をブログに書いたこと、なかったな。
「ACOBATTLE★松本 01」の時には、出演者の一人として、紹介分析みたいな事をしたけど (笑) 。
篠原一弘、関 謙一。
高校三年生の時からの付き合い、かれこれ、四半世紀余り。

両方ともイニシャルが「K.S.」、で、Kが二人で、K2。
よく、ライヴ会場やポップやフライヤーで、「K2-UNIT」とか「K2ユニット」とか、ヒジョーに惜しい明記をされることが多いんだけど、正確には「K-2 UNIT(けーつー・ゆにっと)」。
僕が敬愛する、坂本龍一氏の「B-2 UNIT」ってアルバム名をもじってあるので、「K2」とか「Kツー」とかじゃなく、「K-2」にならなきゃ、いかんのですっ!
1993年...かな、一晩だけ岡谷で、「K-2 UNIT」って出演名義で、ライヴをやった。
今のK-2じゃ考えられないけど、オリジナルがなんにもなかったから、
一部/尾崎豊のカヴァー
二部/篠原のソロ
三部/関のピアノソロ
四部/サザンやB'zなんかのカヴァー
って、構成だった (笑) 。
ライヴをやった岡谷のハコは、チューニングが狂ったグランドピアノがある、結構広いホールだったな...。
篠原がコツコツとそこでアルバイトをして、時給を貰わずに、そのハコを借りるハコ代を積み立てておいてくれたので、デビューライヴにて、ソロ・ライヴが出来た。
尾崎のカヴァーは、僕が、オケをキーボードパートも含めて打ち込みで全部作って、そのシーケンスを鳴らしながら、フェンダーのストラトを弾くっていう、いかにも当時っぽいアレンジ (笑) 。
しかし、今となっては、ある意味幻だ...。
なんでか分からんが、そのライヴは超満員で、当時の20代では信じられない何万円という、ギャラをもらった。
で、ライヴに来てくれた友達や、誰だか分からんお客さんを何十人も引き連れて、諏訪湖半のパブで打ち上げて、全部飲み倒した (爆) 。
その飲み会で、篠原と僕は大喧嘩して、「K-2 UNIT」は、即日解散した。
それからは、高校時代からの悪友という間柄を、7年間過ごした。
しかし、生き様の違いは多かれど、人間的に仲たがいした訳じゃないので、年に何回かは、一緒に飲み歩いてた。
で、時は流れて2005年6月、缶チュウハイでの乾杯で、12年という長年のわだかまり (笑) を、再びの酉年の訪れと共に拭い去って、「お互いに年取ったね...」なんて、互いに思ってもいない事を言い合って、あっけなく終わった「K-2 UNIT」は、あっけなく再始動した。
「ひまわり」ってオリジナルが、最初の「K-2 UNIT」のレパートリーになって、再結成のその日に僕の部屋で飲みながらのアレンジ→リハになった。

今でも「ひまわり」は、なんか俺たちの実家って感じがするな...、最近ライヴで演ってないけど (笑) 。
再始動後は、とにかく周りのバンドの連中やアコースティックな連中と同じ事をやるのが嫌で、どんどん加速したしつっ走ったし、ライヴも演り倒した。
「篠関」ってミニアルバム、「篠関 II」ってフルアルバムを出して、「篠関 II」のレコーディングの時に、とにかく歌い手やフロントプレイヤーだけじゃなく、松本の楽器の演り手のプレイも全国に発信したくて、SALさんや寺さんやTAKEや辻さんやミッチーや大ちゃんや鯉丼にレコーディングに参加してもらって、「TEAM the K-2」が、出来た。

この時のチームの演奏家たちが、今の松本や長野の音楽のバックシーンを支えているといっても、過言じゃないと思う。
しかし、さっきも書いたみたいに、僕と篠原は、共に生き様がまるで違うので、分かり合っているようで、互いの気に入らないところにはどんな事があっても同調しない (笑) 。
そんなんで、ご無沙汰になったりも、結構した...。
互いに、「K-2 UNIT」以外にも、音楽活動があるしね。
去年の暮れくらいかな...。
「ACOBATTLE★松本」を立ち上げるって決めたあたりから、篠原と、「K-2 UNIT」としての、三回目のチャレンジをしてみようかな...って、思い始めた。
篠原には、そんな思いのカケラは話していたけど、まだしっかりと話してはいなかった。
だけど、そんな雰囲気を、篠原は感じてたみたいだ。
今回の篠原のブログを読んで、そう思った。
http://shinopy.naganoblog.jp/e1007093.html
6年前かな...、一度、野孤禅のライヴを松本で開催して、そのO.A.にK-2を...って、ヒーローズにぃちゃんが企てていた動きがあった。
実現は、しなかったんだけどね。
6年後。
6月20日、諏訪の「ROCK HEARTS」で、竹原ピストルさんのO.A.を努めさせてもらえることになった。
去年までの「K-2 UNIT」だったら、もしかしたら、出来なかった(演奏することは可能でも、旨くいえないけど負け犬みたいなライヴになるって感覚)かもしれない。
が、三回目のチャレンジが始まろうとしている今、心して努めさせていただく。
楽しみだ、愉しみだ。
いろんな思いがあって、これからの「K-2 UNIT」は、セッション重視の中にも緊張感を保つ、そんな感じにしていくつもりだ。
左の指先の皮もなまりまくってるから、この辺をじっとりと厚くするあたりからだろうな、俺の三回目のチャレンジは。
篠原も、篠原のチャレンジを始めている。
これからも、篠原と関の「K-2 UNIT」、そして、そのK-2に音の心を重ねてくれる「TEAM the K-2」を、よろしくお願いします。

illustration by ちほねぇ
「ACOBATTLE★松本 01」の時には、出演者の一人として、紹介分析みたいな事をしたけど (笑) 。
篠原一弘、関 謙一。
高校三年生の時からの付き合い、かれこれ、四半世紀余り。

両方ともイニシャルが「K.S.」、で、Kが二人で、K2。
よく、ライヴ会場やポップやフライヤーで、「K2-UNIT」とか「K2ユニット」とか、ヒジョーに惜しい明記をされることが多いんだけど、正確には「K-2 UNIT(けーつー・ゆにっと)」。
僕が敬愛する、坂本龍一氏の「B-2 UNIT」ってアルバム名をもじってあるので、「K2」とか「Kツー」とかじゃなく、「K-2」にならなきゃ、いかんのですっ!
1993年...かな、一晩だけ岡谷で、「K-2 UNIT」って出演名義で、ライヴをやった。
今のK-2じゃ考えられないけど、オリジナルがなんにもなかったから、
一部/尾崎豊のカヴァー
二部/篠原のソロ
三部/関のピアノソロ
四部/サザンやB'zなんかのカヴァー
って、構成だった (笑) 。
ライヴをやった岡谷のハコは、チューニングが狂ったグランドピアノがある、結構広いホールだったな...。
篠原がコツコツとそこでアルバイトをして、時給を貰わずに、そのハコを借りるハコ代を積み立てておいてくれたので、デビューライヴにて、ソロ・ライヴが出来た。
尾崎のカヴァーは、僕が、オケをキーボードパートも含めて打ち込みで全部作って、そのシーケンスを鳴らしながら、フェンダーのストラトを弾くっていう、いかにも当時っぽいアレンジ (笑) 。
しかし、今となっては、ある意味幻だ...。
なんでか分からんが、そのライヴは超満員で、当時の20代では信じられない何万円という、ギャラをもらった。
で、ライヴに来てくれた友達や、誰だか分からんお客さんを何十人も引き連れて、諏訪湖半のパブで打ち上げて、全部飲み倒した (爆) 。
その飲み会で、篠原と僕は大喧嘩して、「K-2 UNIT」は、即日解散した。
それからは、高校時代からの悪友という間柄を、7年間過ごした。
しかし、生き様の違いは多かれど、人間的に仲たがいした訳じゃないので、年に何回かは、一緒に飲み歩いてた。
で、時は流れて2005年6月、缶チュウハイでの乾杯で、12年という長年のわだかまり (笑) を、再びの酉年の訪れと共に拭い去って、「お互いに年取ったね...」なんて、互いに思ってもいない事を言い合って、あっけなく終わった「K-2 UNIT」は、あっけなく再始動した。
「ひまわり」ってオリジナルが、最初の「K-2 UNIT」のレパートリーになって、再結成のその日に僕の部屋で飲みながらのアレンジ→リハになった。

今でも「ひまわり」は、なんか俺たちの実家って感じがするな...、最近ライヴで演ってないけど (笑) 。
再始動後は、とにかく周りのバンドの連中やアコースティックな連中と同じ事をやるのが嫌で、どんどん加速したしつっ走ったし、ライヴも演り倒した。
「篠関」ってミニアルバム、「篠関 II」ってフルアルバムを出して、「篠関 II」のレコーディングの時に、とにかく歌い手やフロントプレイヤーだけじゃなく、松本の楽器の演り手のプレイも全国に発信したくて、SALさんや寺さんやTAKEや辻さんやミッチーや大ちゃんや鯉丼にレコーディングに参加してもらって、「TEAM the K-2」が、出来た。

この時のチームの演奏家たちが、今の松本や長野の音楽のバックシーンを支えているといっても、過言じゃないと思う。
しかし、さっきも書いたみたいに、僕と篠原は、共に生き様がまるで違うので、分かり合っているようで、互いの気に入らないところにはどんな事があっても同調しない (笑) 。
そんなんで、ご無沙汰になったりも、結構した...。
互いに、「K-2 UNIT」以外にも、音楽活動があるしね。
去年の暮れくらいかな...。
「ACOBATTLE★松本」を立ち上げるって決めたあたりから、篠原と、「K-2 UNIT」としての、三回目のチャレンジをしてみようかな...って、思い始めた。
篠原には、そんな思いのカケラは話していたけど、まだしっかりと話してはいなかった。
だけど、そんな雰囲気を、篠原は感じてたみたいだ。
今回の篠原のブログを読んで、そう思った。
http://shinopy.naganoblog.jp/e1007093.html
6年前かな...、一度、野孤禅のライヴを松本で開催して、そのO.A.にK-2を...って、ヒーローズにぃちゃんが企てていた動きがあった。
実現は、しなかったんだけどね。
6年後。
6月20日、諏訪の「ROCK HEARTS」で、竹原ピストルさんのO.A.を努めさせてもらえることになった。
去年までの「K-2 UNIT」だったら、もしかしたら、出来なかった(演奏することは可能でも、旨くいえないけど負け犬みたいなライヴになるって感覚)かもしれない。
が、三回目のチャレンジが始まろうとしている今、心して努めさせていただく。
楽しみだ、愉しみだ。
いろんな思いがあって、これからの「K-2 UNIT」は、セッション重視の中にも緊張感を保つ、そんな感じにしていくつもりだ。
左の指先の皮もなまりまくってるから、この辺をじっとりと厚くするあたりからだろうな、俺の三回目のチャレンジは。
篠原も、篠原のチャレンジを始めている。
これからも、篠原と関の「K-2 UNIT」、そして、そのK-2に音の心を重ねてくれる「TEAM the K-2」を、よろしくお願いします。

illustration by ちほねぇ
Posted by 関 謙一 at 16:40│Comments(2)
│K-2 UNIT
この記事へのコメント
先生、訂正です!!
もっとぜんぜん前です。
。
1993か2(おそらく3の夏)年に結成、解散・・・
瞬殺ならぬ瞬解。
1998年あんたわ、べーーーーですもの
ま、どーでもいいがな。
でも、かきこむ。
青空のバックがイカスぜ。似合わんがな。
もっとぜんぜん前です。
。
1993か2(おそらく3の夏)年に結成、解散・・・
瞬殺ならぬ瞬解。
1998年あんたわ、べーーーーですもの
ま、どーでもいいがな。
でも、かきこむ。
青空のバックがイカスぜ。似合わんがな。
Posted by しのP at 2012年05月10日 00:50
☆篠原
はい、篠原くん、訂正しました。
考えてみりゃ、1998年じゃ尾崎さん亡くなっているもんね。
あのライヴは、まだ「放熱の証」が出る前だった。
それに、1998は、そーかー、本蓮沼が出来るきっかけになってたような時期か...。
バック、あいにく「青空の中の星」は、なかったんでな (笑) 。
はい、篠原くん、訂正しました。
考えてみりゃ、1998年じゃ尾崎さん亡くなっているもんね。
あのライヴは、まだ「放熱の証」が出る前だった。
それに、1998は、そーかー、本蓮沼が出来るきっかけになってたような時期か...。
バック、あいにく「青空の中の星」は、なかったんでな (笑) 。
Posted by 関 謙一
at 2012年05月10日 01:44
